先週の金曜にふと前に紹介した「嫌われる勇気」を思い出す一場面が仕事であった。
とあるユーザとのシステム企画討議で、現時点では想定していない商流であったが、事業の延長線上ですぐに必要性が想定しうることがあった。実際そのユーザ担当の領域外では普通にありうる商流。
それに気づきそれに対応する必要性を提案したが、ユーザの直接の担当からは今は必要ないから不要と却下、私はコスト面・柔軟性などを考え食い下がる、そしてそのユーザの上司からは検討しようと回答があった。
このやり取りにおいて複数「嫌われる勇気」を思い当たる局面があった。
- 私の視点では提案した事案は私の課題ではなく「ユーザ部門の課題」のはず。だが、「自分の課題」のようにとらえ縦の関係性を無意識に意識し、論破にかかった
- ユーザ部門の担当は提案された事案を「自分の課題」としてとらえず、それが発生する他領域の課題ととしてとらえた
前の記事にある「自責」の考え方でユーザ部門の課題を自分の課題としてとらえ何ができるかを考えることは非常に重要。
また、ユーザ部門の視点でいえば当事者意識をもって自担当領域の事業をきちんとストーリーをもって考え抜くことも重要。
だが、コントロールできる範囲は自分のみで他者はコントロールできない。
本の言葉でいえば、きちんと「課題を分離」し、自分の課題と相手の課題を分けて考えること。
相手に対しては水飲み場に連れていくことまではできる、けど水を飲ませることはできないことを理解すること。
あらためて「課題を分離」すること、「自責と他責」、コントロールできる範囲を踏まえた行動をとることが重要であることを再認識できた。
これまでの記事にあげたことでもあるがすべての要素踏まえた好例でもあったのであげてみた。
あらためてこの週末に「嫌われる勇気」を読み返そうと思う。
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