ITプロジェクトはどんな小さなプロジェクトでもユーザが1人、IT担当が1人と必ず複数人のプロジェクトになる。1人でやることは間違いなくゼロで、ユーザ部門・パートナーベンダー、自チームメンバー含めれば大抵は5名以上のプロジェクトになる。
そうなったときに(もちろん一例にしか過ぎないが)、IT担当視点では対ユーザに、パートナーベンダーはIT担当へ、自分の仕事ではないが相手の仕事の一部を請け負って行うことがある。
このプロジェクトを成功させるために相手の仕事を請け負う姿勢は、まさしくプロジェクトのゴール達成を自分事としてとらえている証拠で素晴らしいことだと思う。
自分事としてとらえる=当事者意識をもつことが重要なのは過去記事でまとめたので参考にしていただければ。
また、この姿勢にはもう1つ素晴らしい点があって、相手の仕事を請け負うということは何かしらこのままではまずいという意識が合って行うわけだが、本来相手の仕事は自分のコントロール下にはないもの。それを自らが請け負う=自分がコントロールできる範疇に意図してもってきていることがもう1つの素晴らしい点。
一方、勿論よくない点もある。パートナーベンダからすればコスト面の考慮は無論必要だし、IT担当の視点ではユーザの当事者意識の欠如へつながりかねずそれを失うとプロジェクト失敗リスクが一気に高まるので注意が必要。
だがそれよりも私が注意した方がいいと思うのは、「相手の為に行っている」という意識だ。
相手の為に行っていると思った時点で、自分は相手を意図する/しないは別として、相手を見下していることになる。
もしくはまるで忠犬ハチ公(悪く言うわけではないが)のように、ひたすら相手に尽くすスタンスになりがちになる。
前者の場合、そう思った時点で相手に対して上下関係のバイアスがかかった状態ですべての状況をみやすくなる。要はなんでも上から目線でみやすくなってしまう。
後者の場合、本来プロジェクトゴール達成のために動いたことが、相手のために仕事することが目的化して、どこを向いて仕事しているんだ?っという本末転倒の状況になりやすい。
第一、相手の作業を請け負ってやった行動、それが相手の為になっているかは、相手のみが知る。自分は知りえない。
もしかしたら相手は仕事をなすりつけるためにやっていたのかもしれない。
もしかしたら相手は何らかの意図を持っていたのだが、勝手に自分が進めて仕事を終えたことをアピールしているだけかもしれない。
要は、「相手の為にした」という行為は、相手が決めることであって自分がそう思うのは傲慢な考え方のはず。
あくまで「自分の選択」としてゴール達成のために行ったのであるから、「自分の為」に行った、というのが正しい解釈のはず。
その結果として、相手がどうであれプロジェクトのゴール達成に向けて近づいたのであればよし、ぐらいのスタンスが一番健全な、かつ、建設的な考え方だと思う。
人の為と思った時点でふつう、見返りも欲しくなるし、見返りがないと関係性も悪くなる。
だけど、見返りほしいと思うこと、見返りなくて相手を悪く思うのは完全に自分の一人芝居。
それよりも「自分の為」に動いたと思えばそうも思わないし、そう思えないことであればそもそもやらない方が自身にとってもいいのでは? っと思う。